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バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

『なきむしこぞう』を読みました ~愛らしくてきらきらした宝石が落ちるようなお話でした

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幼い頃、気がついたら白いうさぎのぬいぐるみがそばにあった。くたっとしたうさぎのぬいぐるみは座らせることもできず、ひげは切り取られ、お腹のあたりは赤と黒の縞々になっていた。目はぎょろりとしていて特別可愛いと思うぬいぐるみではなかった。当時、私は動物のぬいぐるみが好きで誕生日やクリスマスにひとつずつ新しい動物が買ってもらっていた。らいおん、ねずみ、ぶた、くま、こあら、いぬ、ねこ、はむすたー……どれも可愛らしくて毎晩枕元に並べては「今日はくまちゃんのとなりで寝る!」と言っていた。となりに寝るぬいぐるみは日替わりだったけれど、うさぎのぬいぐるみがとなりになることはあまりなかった。けれど、必ず並べられた動物の群れの端っこにうさぎもいた。うさぎのぬいぐるみはひとりぼっちで寂しくなった時にぎゅっと抱きしめるのにちょうど良かった。うさぎのくたっとした体は小さな私の腕にぴったりひっついた。困った時のうさぎちゃん。だからぬいぐるみを少しずつ処分しなければいけなかった時もなかなか手放すことができなかった。

 

『なきむしこぞう』を読んだ。

しずかな夏の夕方、ぬいぐるみのゾウとライオンとキリンは家出をすることにしました。もといた動物園の売店に帰るのです。でも、庭で出会った屋根裏ネズミに持ち主の男の子が3匹がいなくなって大泣きしていると聞き…。いとおしく宝物のような絵童話。

出版社HPの紹介文なのだが、ここに書かれている「いとおしくて宝物のような絵童話」という言葉がまったくそのとおりだった。絵もお話も素敵だった。

ぬいぐるみのゾウとライオンとキリンが、持ち主の男の子があまりにも自分達の扱いが乱暴すぎるので家出しようとするお話だ。話の先を書いてしまうと、男の子の扱いが乱暴だと思っていたけれど、それ自体も男の子の愛情表現であり、自分達はけっして嫌われておらず、むしろいなくなったことで大泣きする男の子を目の当たりにしてまた男の子のもとへ帰って行くのだった。

 

愛情表現というのは難しい。テレビで幼稚園の女の子が「たろうくんが好きだけど、結婚するならじろうくんとしたいの!」と無邪気に答えているのを見たことがあるが、大人の女性が同じ発言をしたなら「おい、ちょっと待て」となりそうなものだけど、こどもなら「まあ、かわいい」で許される。だけど、実際にそれを言われたたろうくんは何も思わないのだろうかと考えてみると、子どもだって感情があるし、すぐに忘れるかも知れないけれど、言われた直後はちょっぴり寂しくなるんじゃないかなって思うのだ。

小学生ぐらいの男の子が好きな子にちょっかいを出すのもそうで、大人は経験を経て好きだからやっているんだろうなと思うけれど、子どもはそこまで理解せずにただ気を惹きたいだけでやっていたりする。私は小学生の頃に好意を持たれた男の子に靴を隠されたことがあって、どれだけ探しても見つからなかったので仕方なく上履きで帰ったことがある。次の日には何事もなかったように下駄箱に靴が置いてあったけれど、それ以後その男の子を好意的に見ることはできなかった。そしてそれを今も覚えているほど傷ついた。

 

このお話には屋根裏に住んでいるねずみが登場する。ねずみはぬいぐるみ達に「あのいたずら坊主が大声で泣いてるんだよ。面白いだろ?」と楽しそうに話しかける。ぬいぐるみ達はそれを聞いてだんだん腹を立てるシーンがある。これは家族の悪口を自分が言う分には良いが、他人に言われると腹が立つというのと同じだと思った。ぬいぐるみ達は男の子のところから逃げだそうとしたけれど、男の子の好きなところもあって「あの子の良いところも知らずに、ねずみが勝手なことばかり言うな!」って気持ちになったんだ。私もこんな思いを中学生の頃に抱いたことがある。

 

あの日の優しさも、あの時の切なさや悲しみもこの本は思い出させてくれた。

 

酒井駒子さんの絵はいつ見ても素敵で、今村葦子さんのお話は終始優しい。お話の途中からぬいぐるみ達の呼び名が「じょう」「らりろん」「ちりん」と男の子が呼んでいる言葉になっているのが愛らしい。きっとまだ上手に発音できないぐらいの年齢なのだろう。

 

読み終えた後、ざわついていた心に静けさが戻ってきた気がした。

ほんの少し優しくなれそうな気がしたのだ。

 

なきむしこぞう

なきむしこぞう