実家でだらだらと過ごしている。
父は数年前に脳梗塞を患ったので、会話がままならないことが多々ある。
父はデイケアで何かの発表会の時に手を叩いたのが楽しかったらしく、皆で笑うと大きな拍手をぱんぱんと繰り返した。あまりにも音が多かったため、パーの状態で叩かずに、指をくっつけた方が良い音がするよと皆で伝えた。
今日は娘が起きてくるのが遅かったため、父母が先に朝食をすませていた。けれど、私や娘が朝食を食べ始めると、父は自分の箸を取りに台所へいき、一緒に食べ始めた。
「もう、食べたでしょ」
母は父に話したが、それでも父は食べようとする。母は諦めてなるべく軽そうなものをお皿に取り分けて父に渡した。
「みんなで食べたかったんだね。みんなで食べると楽しいね」
母の言葉に父は「うん」と頷いていた。
私は父ではない人がそこに座っているように感じてしまうことがある。毎日顔を合わせて接している人には、大変なりにも変化が感じられ受け入れられるのかもしれないが、年に二回程度しか会わない私はふとした時に「これは誰だろう」と思ってしまうのだ。寂しくて残酷で心がないなって思うけれど、感情と許容はそんなに都合よく用意できるものではない。
父は固有名詞、特に人物名が母以外の人はほとんど出てこない。言わされない限り、もう自らの力で私の名を呼ぶことはないかもしれない。
でも、目の前にいる人は紛れもなく私の父であり、楽しそうに笑っている姿を静かに見つめていようと思う。
例え心がついてこなかったとしても。