この文章は『私の父の話「1」「2」』の続きである。
私の父の話「1」 - バンビのあくび (hatenablog.com)
私の父の話「2」 - バンビのあくび (hatenablog.com)
***
私の父は新聞配達の仕事で真夜中に起きている生活が習慣になっていたこともあり、休みの日でも真夜中に起きていることが多かった。真夜中は暇なため、父はテレビを観るのだが、そんな時間にやっている番組は通販番組ぐらいしかなかった。「真夜中」と「通販番組」。この最高の組み合わせにまんまと父は引っ掛かり、よく通販で買い物をしていた。朝起きると寝ぼけている私の耳に「……買っちゃったよ」の言葉が飛び込んでくる。掃除機、製麺機、包丁セット……たくさんのものを買った気がするが、中でも調理器具が多かったように思う。
父は食堂の仕事をしているときに調理師免許を取得していたため、料理が上手だった。丼ものや炒め物、餃子などは母より上手かった。母が不在の時に親子丼やかつ丼を作ってもらったこともある。父の一番の得意料理は炒飯だった。父が作る炒飯はぱらぱらとしていて卵、ねぎ、その時冷蔵庫にあるちくわやハム、刻んだ紅しょうがが入っていた。
父は酔っぱらって帰ってくるとき、度々、テレビ番組の格付けチェックでやっているように、ドアをちょっと開けては閉めた後、違うドアから登場した。最初は笑っていたが、年齢を重ねた私達きょうだいは冷ややかな対応をするときもあった。父はややしょんぼりしていたのだった。
私は高校を卒業した後、ピアスをつけたいと思い立った。念のため、母にその旨を伝えると「好きにしたらいいわよ。とりあえずお父さんにも言っといたら?」と言われた。その言葉を守り、父に「ピアス開けてもいい?」と尋ねると父は「いいよー」となんとも軽い返事が返ってきた。
別に反対されるとは思っていなかったが、なんとなく怪しく思い、「ねぇ、お父さん……ピアスってわかる?」尋ねると「なにかわかんないけど、いいよ」との返事。
あー、やっぱりわかっていなかったんだと思いながらピアスが何のなのか説明すると、理解したうえでオッケーしてくれた。父は私を全面的に信頼してくれてるのか、私の行動を制限したり、反対することをしない。「えこが良いと思うなら、それでいいよ」
それは私が私でいられる最高の言葉だった。
父は60歳頃から写真を撮ることが趣味になった。
最初は花や鳥、風景などが多かったが、私に子どもが産まれると子どもの写真を喜んで撮るようになった。
私の息子は父にとって初孫であったため、公園へ連れて行っては写真を撮り、家でジュースをこぼしては写真を撮り、さまざまな場面の写真を撮ってもらった。その中に私が息子と一緒にローラー滑り台を滑っている写真がある。私は写真を撮られるのが苦手なのだが、この1枚はとても気に入っている。
とても自然に笑っている私と息子がそこにはいた。これが父の目がとらえたわたしたちの姿なのだと思うと、とても守られているようで、柔らかい気持ちになった。
***
私が再現した父のチャーハン。
ここまでを私の父の話「3」とする。続きは近いうちに。