バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

日光過敏症なんです

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お天気の良い日が続きポカポカ気持ちが良い。

桜の花はだんだん散ってくるが、ひらひら舞い落ちる花びらは可憐で美しいと思う。

だが、それに見惚れてボーッとしていると私の頬はピリピリと痛み出す・・。

 

きたっ!ヤツがきたっ!私の天敵である日光が・・。

 

私の肌はあまり強い方ではない。ちょっと痒くてポリポリ掻くと点々と内出血が出来たりする。それでも日光に対しては問題なかった。フェスで半袖、半パンで1日中外にいてもへっちゃらだった。だが、どうやら出産を機に体質が変わったらしい。

 

あれは息子が1歳の時だった。確か6月ぐらいだったと思う。

天気の良い日でベビーカーに息子を乗せて散歩へ出かけた。

(どうでも良い補足だが、息子は1歳6か月まで歩かなかった。ちなみに娘も1歳6か月まで歩かなかった。なので私の夢であった「よちよち歩きの赤ちゃん」を見ることができなかった・・。2人とも歩き出したらスタスタと普通に歩いたので嬉しいやら悲しいやら複雑だった)

とても気持ちの良い日でたくさん歩いた。公園でも遊んだ。

問題はその日の夜に起こった。首のあたりが妙に痒くなり、触ってみるとものすっごく熱く、なんだかボコボコしていた。しばらくすると痛みと痒さでどうにもならなくなり、身悶えながらゴロゴロと床を転げ回る私。顔も首もだんだん腫れてきて、終いには顎との境目がなくなった。

その姿を鏡で見た私は「あ、まんぷくふとるがいる!」と思った。これは自分ではない。明らかにまんぷくふとるだった。

それほどまでに腫れ上がった顔と首にビックリするやら、痛痒いやらどうにもならずほぼ眠れぬまま朝を迎えた。

次の日の朝。「あれはきっと夢だ!悪い夢を見たんだ!」と思い鏡を見てみた。そこにはやはりまんぷくふとるがいた。ありえない。何が起きたんだ。

この悪夢のような状況を夫に報告しようと夫を起こしてみたが、彼は私を見るなり笑い出した。「まんぷくふとるだ!」と・・。いや、まあ、私もそう思ったけど一応あなたは心配するポジションでないのかい!と蹴り飛ばしたかったがそんなことをしてもまんぷくふとるの呪縛から逃れられそうになかったのでやめておいた。

さて、ここは1つ病院へ行かねばなるまいと思いつつ、まんぷくふとるが道を歩いても良いものかとしばらく考える。平日だし、息子もいるのでとりあえず息子も連れていかねばなるまい。この頃の私はペーパードライバーだったので車を運転するのは怖くて出来ない。よし!と大判のスカーフを取り出しほっかむり状態で子供乗せ自転車に息子を乗せ、勢いよくこぎ出した。猛ダッシュ。できるだけ人目を避けたい一心でひたすらペダルを踏んだ。もう誰にもまんぷくふとるなんて言わせない!ただそれだけを願った皮膚科までの道のりだった。

皮膚科に到着し、診察券を出すと待合室で待たねばいけない。ここは地蔵になったつもりでずっと下を向いていた。微動だにせず。息子もそれに習い地蔵になった。空気の読める良い子だと思った。親子地蔵は名前を呼ばれるまでひたすら瞑想していた。もしかしたらかえって怪しかったかも知れない。だが「まんぷくふとるだ!」と指をさされるより遥かに良いと思った。

やっと地蔵さん~と名前が呼ばれ、診察室に入った。ほっかむりを外した姿を見た先生は冷静にあっさりと「あ、これ、日光ですね。辛かったでしょう」と言った。

「そりゃあ、痛痒くて眠れないし、まんぷくふとるだしとてつもなく辛かったです・・」と涙ながらに話した。

「で、先生、なんか治る薬あるんですか?」

「いや、ありません」

・・地獄へ落とされた。

なんでも痛痒さを和らげる薬はあるが、完治するには数日かかるらしい。

「このまんぷくふとる状態はいつ脱せるんですか?」

「それは何とも言えませんねぇ・・」

なんと・・ここで数日間はまんぷくふとるなんだなと覚悟を決めた。とりあえず息子がまんぷくふとる⁼母親であると認識してくれているのがせめてもの救いだと思うことにした。

数日間はできるだけ家の中で過ごした。腫れが引いてきてまんぷくふとるがダイエットした状態になっても、まだ肌がボコボコで化粧はできなかった。完治するまでに2週間ぐらいはかかったと思う。とても恐ろしい体験だった。

 

それ以後、二度とまんぷくふとるになるまい!と心に決め、1年中日焼け止めを塗っている。

 

なのに、おバカさんな私はなんと!2度目のまんぷくふとるを体験することになるのである。

あれは娘を妊娠している時。4月の終わり頃だったと思う。

肌がピリピリとしたので嫌な予感がした。妊娠中でホルモンバランスも崩れているだろうし一番危険なパターンである。予感は的中し、夜になったら腫れだした。

一度、体験していることもあり、それ以後の辛さ、まんぷくふとるに変身するまでの過程、すべてが悪夢だと思った。

さらに、前回と違うのは息子が保育園へ通い、私が仕事をしていたことだ。「家にこもる」という選択肢がない。案の定、まんぷくふとるになった私を夫は笑った。ここも前回と一緒だ。同情なんてされない。

もうペーパードライバーではなくなった私はほっかむりもせず、車で皮膚科へ向かった。だが、待合室だけはどうすることもできなく、数年ぶりに地蔵になった。親子地蔵。息子の学習レベルが高すぎて笑えてきたが笑っても皮膚がひきつるので痛い。

診察室に入り、先生に言われる前に「日光ですよね・・」と言ったら「そうでしょうね」と言われた。薬がないのも知っている。ここから2週間地獄だ。

保育園への送迎は出来るだけ人が少ない時間に下を向きながらささっとこなした。職場の方に「オレが旦那だったら、その顔で外には出さないよ」と優しい言葉をかけられた。ええ、あなたが旦那ならね。うちの夫は「まんぷくふとるだ!」と笑うことしかしないのなんて言えない。愛想笑いだけして「えへえへ」とやり過ごした。愛想笑いも皮膚が痛かった。辛い体験だった。

 

2度目の日光アレルギーはおそらく日焼け止めの塗りが甘かったか、または首を塗り忘れたためだと思われる。

私の体での実験によると、8月の太陽ギラギラの時にはあまり肌がピリピリしない。

一番こわいのはこの時期で紫外線が強くなり始める季節の変わり目だ。

よって私は4月・5月・6月の日焼け止めの塗り方が半端ない。ただでさえ「色が白いですね」と言われるのに鈴木その子さんに追いつけとばかりに塗りたくる。もうまんぷくふとるが良いか鈴木その子さんが良いかの2択しか私には残されていない。

 

この時期に鈴木その子さん並に白い方が道を歩いていても皆様温かい目で見守ってやって下さい。

 皆様もどうかお気をつけて。まんぷくふとるの大量生産を私は見たくない。