バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

『ミサキラヂオ』を読んで〜本と記憶が結びつくこと

 

『ミサキラヂオ』を読みました。

 

ミサキラヂオ (想像力の文学)

ミサキラヂオ (想像力の文学)

半島の突端にあるこの港町には、ここ半世紀景気のいい話などなかった。だが、演劇人くずれの水産加工会社社長が、地元ラジオ局を作った時、何かが少し変わり始めた。土産物店主にして作家、観光市場販売員にしてDJ、実業家にして演歌作詞家、詩人の農業青年、天才音楽家の引きこもり女性、ヘビーリスナーの高校生ー番組に触れた人々は、季節が移り変わる中、自分の生き方をゆっくりと見出してゆく。自分勝手な法則で番組と混沌とを流し出す奇妙なラジオ局のおかげで…。港町にある小さなラジオ局を舞台に、ひそやかに生きる人々が交差する、太宰治賞作家の意欲作。
ミナトにあるコミュニティーFM局を軸に様々な人が交錯する群像劇。
春、夏、秋、冬の4章で構成されており、全編通してものすごく大きな展開がある訳ではないのだけれど、1人1人がその場所でそれぞれの思いを抱えながら生きている様が丁寧に描かれていると思いました。
日常の中であるちょっとした話も積み重ねればこんな風になるのだろうなと。
 
今が「秋」なこともあり、秋の章に一番心が動かされたように思います。
さして親しくもない青年の死が、人々の心にひっそりと入り込む。
自分と重ねたり、理解出来ないと思ったりしながらも悼むのです。
 
私は詩人の農業青年夫婦が温かくて好きだけど、引きこもり女性と母親の共依存がなかなか興味深いなぁと思いました。
ユミとユーミという2人の女子高生は相反している分、ものすっごく仲良くなりそう!とも思いました。そういうことってあると思うのです。
 
少し長いですけど、日常風景を垣間見るのが好きな方にはオススメです。
ココロが心地良い風で揺れますよ。
 
***
 
本の記憶は内容とともに、その時に置かれた私自身の心情や背景も影響していると思っています。
 
この『ミサキラヂオ』は以前、友人がブログで紹介していたのですが、どうやら、友人は心がグダグダの時に泣きながら読んだらしく、私の中では「読みたいけれどなんだか色々感じてしまいそう」と言うそんな位置づけにずっといた本でした。
こないだ図書館へ行った際に、ふと、「そう言えばこの図書館に『ミサキラヂオ』はあるのかな」と思いました。なんで急に思い出したのかはわからないのですが、探してみたらあったので、そのまま借りて帰ってきました。
家に帰って、借りてきた他の本を1冊読み終えてから、『ミサキラヂオ』を読み始めました。
冒頭はまだその文体に慣れないせいか読みづらさを感じましたが、その後は『ミサキラヂオ』の日常風景のように、私は毎夜少しずつ読み進めました。
そして昨日、秋の章を読み終えたので、今日は残る冬の章をずっと読んでいました。ラスト20ページぐらいになった時でしょうか。
以前『ミサキラヂオ』を紹介していた友人からメールがあったのです。
その人が普段タイトルには入れないエクスクラメーションマークが目に入り、これはなに?と思って本文を読んでみると、なんだかとても幸せな内容だったので思わずニヤニヤしてしまいました。
 
そんな気分のまま、最後まで読み終えた『ミサキラヂオ』は、私にとっては幸せな本として頭の中にインプットされました。
 
今後、『ミサキラヂオ』の内容を忘れる事はあっても、この本と結びついた記憶はきっと忘れないのでしょう。
 


またそんな本との結びつきが生まれたら良いなぁと切に思ったのです。
 
 
 
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