バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

「ひばな」

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むかしむかし。

10年以上前に鈴鹿サーキットの花火を観に行ったことがある。まだ結婚する前の夫と一緒に。
私達はサーキットの観客席に座り、花火が上がるのを今か今かと期待しながら待っていた。
赤い夕焼けがだんだん闇に覆われ始めた頃、いよいよ花火が打ちあがった。
真夏の夜空に咲いた花はとても見事に開いて、その後儚く散っていった。大きな花、次々と上がる小さな花、しだれ柳のような佇まいの花、キャラクターの花、どれもこれも素晴らしく皆が首が痛くなるのも忘れて夜空をずっと見上げていた。しばらくすると、地を這うような花火があり、「あれはどうなっているのかな?」と夫に尋ねてみると「ナイアガラみたいなやつじゃない?」と夫は答えた。私は「ほう、ずいぶん変わったナイアガラだなぁ」と妙に感心してその言葉を受け入れた。
その5分後。
ウゥゥーッ!というサイレンを鳴らしながら消防車が到着した。どうやら何かに引火して本当に燃えていたようだ。周りも「あら、消防車?あらあら?あれは燃えてたのね」と言っていたぐらい花火との区別がつかなかった。
美しさの延長線上で起こった出来事は皆の判断する目を狂わせたのだ。
幸いにもすぐに鎮火し、観客席からもかなりの距離があったので何事もなかったように静かに終わっていった。
 
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これもまた10年以上前の話になるが、結婚し、色々な慌ただしい行事を終えホッとした頃「1泊2日ぐらいで温泉でも行こうか」という話になった。
そうね、色んな人に会って嬉しいけどちょっと疲れたし、そんなのも良いかもね、と私達は長野にある温泉へ向かった。車での移動中、ラジオから不思議なお米のうたが流れてきて、それがツボにはまりパロって遊んだのは覚えているのだが、善光寺の記憶はほとんどない。
宿についてから夫は「夜に花火大会があるんだよ」と言った。宿の手配等はいつも夫がするので私はただ用意をして車に乗るだけだったのだが、どうやら花火大会のある日に合わせて宿を取ってくれたらしい。それなら、と早めに温泉へ入ることにした。その時間の女湯は私だけしかおらず、ゆったりのんびりと湯に浸かっていた。夜になり、温泉地らしい宿と商店の並ぶ道を歩いた。その先に花火の見える場所があるのだ。わりと静かな温泉地だと思っていたが、花火の上がる時間になるとどこにいたのだろうと思うぐらいの人でごった返した。
花火が上がった。屋根と屋根の間から見えた花火はサーキットの花火とは違った趣があった。あまり大きな花はなかったように思うが、色とりどり打ち上げられる花火はやはり美しいと思った。地元企業の名を読み上げて打ちあがった花火のあとに、個人で打ち上げた花火がいくつかあった。
「誕生日おめでとう」
「いつもありがとう。これからもよろしく」
「◯◯先生、長い間お疲れ様でした」
個人で打ち上げられる花火は金銭的な面で小さめなモノが多かったけれど、そこには当事者でしかわからない思いがありそんな気持ちも一緒に打ち上げられているのだ。
全く他人である私がその花火をどう思うかは、私の経験と感受性とその場の雰囲気で決まるような気がした。その時私の目に映った花火はどれも優しい色合いの穏やかな花に見えたのだ。
 
 
***
 
又吉直樹さんの『火花』を読みました。
書評のようなものは書けないので、そこはででーんとすっ飛ばして書きますが、芸人である又吉さんが芸人の事を書いているというだけで少し興味がわくのではないでしょうか。
人として芸人としてどうありたいのか。そんなこと、ぶっちゃっけ私にはわからんのですがそれでも読み終えた時に余韻が残る話だと思いました。素敵。
3月に単行本化されるようですので、ぜひ読んでみて下さいー。
 
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日々笑って過ごせればそんな良いことないだろうなと思い、息子にちょくちょく面白いと思ったことを言ったり、やったりしているのですが、だんだん「ああ、お母さんは半分ぐらいアホなんやな」と思われ始めたっぽいので嬉しく思っています。反面、時々うざがられているのでしょうけど、引き時を見極めるのって本当に難しいですよね。私の兄は引き時が下手ですぐやり過ぎるため、私はかなり被害にあった思い出があります。
それならそれで最初からやらなきゃ良いやろ?って話になるんですけど、ピコーン!とひらめいたらやらずにはいられない病に一時的にかかるのでどうにもなりませんっ!
 
息子の返しとツッコミが日増しに良くなっていくのをみて成長を実感し、うるうるしている私がここに存在しているのです。