
愛だとか恋だとかあんまりそういうの考えて生きていなくて、実際考えたら答えが出るのだろうかと思ったけれどもきっと私は息絶える時までその答えを出すことは出来ないのだと思う。
「恋は下心で愛は真心です」なんてそんなの当てはまる訳ないしそんなんでわかれば苦労しないぞな、あたし。
「ならば愛の言葉を囁いて」なんて言ったって囁きなれた薄っぺらい言葉なぞあたしはいらんって話になるし、ほらね、やっぱりわからんよ。
ただ、もしあなたが日々暮らしている中で山があって谷があってまた谷があって川も越えちゃって、あらあら、ここはどこなんだろう?と彷徨っていたとしても、私はあなたが幸せであってほしいと願っている。
私は私自身の事がけっこう好きなので、自分で自分を愛していくことにする。
…って、おいおい、おまえさん、愛とかわからんのにどうやって自分を愛するの?なんて当然ながらツッコまれるんだろうけどそこは「あたし、大事だもんっ!」と思いながら雰囲気で愛していくからいいの。気にしないで。
人の幸せ願ってもそれが良からぬ方向へ行くこともあるし、泥団子を私へ投げつけたくなるぐらい傷つけてしまう事もあるかも知れない。けど、私はその泥団子を投げ返すことはしたくない。私が愛する私自身が傷を負い、否定されても投げ返したくはない。頑なにそんな態度でいるとまた違った誰かが私の代わりに泥団子を投げてくれようとすることもあるかも知れないけれど私はそれを望んでいない。出来る事なら泥団子を握っているこの手を、プルプルと震えながら泥団子を握っている私のこの手を、そっと包んでほしい。
私がこの泥団子を投げないように。私がその場でしゃがみ込まないように。
そしてあなたが私の手とともに包んでくれた泥団子を一緒に磨いてピカピカにしてほしい。
強くなる。壊れなくなる。崩れなくなる。
そんな泥団子、作ってみたいし、何より夢でも良いから見てみたいのだ。
