バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

20200331 ~言葉を交わす

今は怒ることはあんまりないけれど、子どもが幼い頃、私は毎日のようにキレまくっていた。

フルタイムの仕事を終え、急いで保育園へ子どもを迎えに行く。すぐに夕飯を作り始めないと、下の子がお腹を空かせてグズグズするのに、夕飯作りに取りかかったとたん上の子が手を煩わせる。何度もヒステリックに大きな声を出した。いっぱいだった。ヒステリックに叫ぶ自分が信じられなかった。私にはこんな一面もあったのかと私自身がいちばん驚いた。

家族と呼ぶような人達に「叱ってる声がうるさいから声を小さくしろ」と怒られた。それでもヒステリックに叱ることをやめられなかった。

だって、子どもが私の言うことを聞かないから、私が叱らなくても良いような子にしなくちゃ。

子どもがちゃんとしてくれれば私は叱らなくてすむんだもの。

つまり私は私自身を守るためだけに子どもを叱っていた。いや、ただ怒っていた。子どもの様子も子ども達が訴えてる声も耳に入っていなかった。

いつも叱りつける自分の声がイヤだった。どうにかしたかった。

月日が流れるとともに、知らない土地でフルタイムで働くことがいっぱいであった私に、ほんの少しだけ心の余裕ができた。同時に子ども達が心身ともに成長したことで声を荒げることはなくなった。

あとから、冷静になって考えるとヒステリックになっている私を心配してくれる人などいなかった。ただ「うるさい」とだけ言われ、代わりに子ども達を見てくれることもなく、休ませてくれることもなく、静かな声で2人の子どもの世話をしろというのはひどく難しいことだと思った。

 

時々、スーパーで子どもをヒステリックに叱っているお母さんを見かける。「あんなに叱らなくても……」と言っているかのような目で見ている人もいるけれど、私はそのお母さんにあの日の自分を重ねて、苦しさでいっぱいになる。

本当に叱りたくて叱ってますか?

助けてほしいのはあなたじゃないですか?

声をかけたくなる。

 

誰かの行動にイライラしてどうしようもないとき、そう思っている私に余裕がないのではないかと考えることがある。

相手を自分の思い通りに動かそうとしていないか。

相手の気持ちを少しでも考えているか。

別のことに対する不安をその人にぶつけていないだろうか。

考えても間違えることもあるし、腹をたてることもあるけれど、何も考えないよりは良いかなと思っている。

 

3年ほど一緒に働いていた人が辞めることになった。

「えこさんに言われた言葉で忘れられない言葉があるんですよ」

その人は言った。

「えこさん、相手に伝わらなかった時、相手の能力に対して文句を言う前に『伝える努力を怠っていないか考える』って言ってたんですよ。そうだなと思いました」

そう話されて、言ったかもしれないけどどうだったかなぁと考えた。

まあ、どっちでもいいや。

相手が理解してはじめて伝わったことになるのだから、やっぱり伝える努力を怠ってはいけないと思う。

 

もっとたくさんの人と言葉を交わさないといけないと思った。

私が私でいられるように。

あなたがあなたでいられるように。