バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

電車の窓から見えた景色

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電車の窓から見える流れるような景色が好きだ。

普段、車で移動するばかりの私は、「電車に乗る」ただそれだけでちょっとした冒険気分を味わえる。

毎日、毎日、満員電車にぎゅうぎゅうと押し込められていた頃は全くそんなことを思わなかったのに、私は本当に勝手なイキモノだなと思う。

電車から見える景色は日常生活の中で気づかなかったことを私に知らせてくれる。

道路からは見えない公園、お店、用水路、看板・・。新しい発見がある度に、「あそこへ行ってみたいな」と思い、心の中の「楽しみなことリスト」に加えていく。すぐに叶わないことも、忘れてしまったことも、また電車に乗った時に思い起こす。生きていく上での小さな希望と夢を詰めこんで、がたんごとんと揺られていく。

夜の静けさに包まれた電車は、人々の声ではなく電車の声を響かせる。スースーと皆が眠りに誘われるような電車の声。本を読んでいてもその声は一切邪魔にならないのが不思議だ。こくんこくんと首を縦に振った後、私にもたれ掛かってきた娘。ずしりと感じる重さは幸せの重さなのかも知れない。

***

塾を終える息子を車の中で待っていると、2両だけの電車が目の前を通り過ぎることがある。街灯の多くない場所を通り過ぎていく電車は、自らが街を灯す明かりとなって通り過ぎていく。くたびれた様子のサラリーマンや部活帰りと思われる学生を乗せ、静かに闇を照らしながら走っていく。

支線の電車は本線へ向かう。行く先はすでに決まっていて定められた線路をひたすら進んでいく。

電車に揺られていた人々の行く先は一体どこなのだろう。何処へ向かうのだろう。

支線の支線。枝分かれしたいくつもの道がそこには存在していて、歩いている本人も自分が何処にいるのかわからなくなったりする。目印も見つからず、先行く道が不安でならないことも多々ある。人と電車の大きな違いは感情を持ち合わせているかにあって、この感情と言うのは操るのがとても難しい。私はいつも感情と言うやつに弄ばれているんだ。

けれど、優しい視線と温かな言葉と豊かなモノを感じられた時、感情があって良かったと心から思えたりもする。何事も紙一重。自分次第で動くこともある。

 

電車の窓から景色を眺めている時。

遠くにいるあなたを想うこともあるし、近くにいるキミを想うこともある。

全て流れる景色の中に溶かしながら、和紙のような薄い紙を私自身に纏わせる。

これで紙一重を埋められるのではないかと想いながら、私はいつも窓の外を眺めているのだ。