バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

20191212 ~幻想を抱かない

例えば。

誰かに告白されてお付き合いしたとする。相手は好意をもってくれたからこそ、告白してくれたと思うのだがしばらく経ったあと「もっとお淑やかな人だと思いました」とフラれたとする。これに近いことを昔、よくされていた。大方、「一目惚れです」という人に多かった。だから私は一目惚れは嫌いだ。

勝手な幻想を抱かれて、その人の思う「わたし」と本来の「わたし」がかけ離れていたらしく幻滅されることが多々あった。一目惚れの時点で性格が排除されているから致し方ないのかもしれないが、いったい私に何を期待していたのかと思う。そう憤ってみても、本来の私が受け入れられていない時点で少なからず傷ついた。

人に期待しないことにしている。

それは夢がないとかではなく、勝手な幻想を抱くことを自身に禁じている。子どもの頃「自分がされて嫌なことは人にはしちゃダメよ」と言われる場面があった。私は私に幻想を抱かれることを嫌うので、私も人には幻想を抱かない。

だから、私の中では相手にたいして減点方式をとることがほぼない。相手の長所、短所を受け入れ、私がほどよく関わっていけそうなところを探る。その方が摩擦が少なく、互いに受け入れられる実感もあって共存している気がするのだ。

ただ、明らかに苦手な人には近づかないようにすることは必要である。

これができなくては自分を守れない。

 

『居るのはつらいよ』を読んだ。

学術書なのかもしれないが、文章が平易で読みやすくエッセイ感覚で最後まで興味深く読み終えた。

 

居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく)

居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく)

 

 「ケア」と「セラピー」の違い、人との関わり方、心の変化、学ぶべきところは多かった。「居る」と「する」をここまで考えたことはなかった。ケアは難しいけれど、ケアの必要性を感じた。

 

現在、私の心もわりとぼろぼろで本来であるならばケアは必要なのかもしれない。自身の想定よりも長く箱に入ったような期間を過ごしている。時々パカっと開けて「どうよ?」と自身に問い「まだ。ダメー」と言ってはフタを閉めている。

仕事をし、子どもを養うことを止めるわけにはいかないので何もしない期間を設けることはできない。日常をこなす中で、自分の心と向き合い、誰かの何気ない優しい言葉をもらいながら、小さいながらも一歩一歩進んでいる。

私はいつも最悪の状況を想定して動くので、瞬発力がなくチャンスを逃しがちなのだが、そのぶん「動く」と心に決めると気持ちは揺るがない。

だいぶ方向性は固まってきたし、同時に心もブレがなくなってきたように感じる。助けてくれる人も見守ってくれる人もいる幸せを感じながら強く生きようと思う。