バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

20200505

太陽が顔を出していたので、こたつ布団の洗濯をした。5月になって暑い日も続いているのだから、もう、こたつはいらない。

連休だが、ごみの収集日だったので、右手と左手それぞれにごみ袋をぎゅっとつかんでごみを運んだ。集積所のふたを開けてごみを置く。ごみが両手からなくなる一瞬の軽さを「自由」だと思った。

近所に1ヶ月くらい前からずっと工事をしているところがある。音は気にすればうるさいと思えるぐらいの大きさなのだが、何が出来上がっていくのか楽しみでいつも眺めている。何かが出来上がっていくさまを見続けることは意外に少ないので貴重だ。自分の生活となんら関係のないものであったとしても、興味を持てば何でも面白い。ブロック塀を積み上げるところも、現場監督と思われる方が皆よりはやく来ていることも興味深い。

朝食を終え、部屋でひとり大の字で寝転がってみる。天井の白さが眩しかったのとあまりの解放感にちょっと涙ぐんで笑ってしまった。身体とこころの居場所が一致している気がした。

朝、起きたときにわくわくできることは尊いことだ。起きたときに1日が始まることが苦しい日々はごみ袋に入れて、開かないくらい強く結んで捨ててしまったら良いと思う。

 

こどもの日だったので、息子のリクエストもあり、ちまきを買ってきた。季節を感じるものを食べ、時間の経過を知る。それはこころを平らにする術のひとつだと思う。


f:id:bambi_eco1020:20200505200826j:image

夕食はからあげの香味ソースがけ。暑い日だったので、さっぱりしたくて香味ソースを作った。息子はサラダにもごはんにも何でも香味ソースをかけたがる。私の手から離れたものは好きにしてくれたらいい。

 

平穏な日が続くと、それがいかに恵まれていることなのかを忘れてしまう。例えば、誰かと食べるごはんが美味しいとか、くだらないジョークにも涙を浮かべて笑えることとか、それらは当たり前のことになる。今、変化する状況にどれだけ心を波に乗せ、どれだけ踏ん張って立つのかは自分次第なのだろう。流されてもいい、留まってもいい、気持ちのうえでは。ただ、現状維持というのは、どんなときも存在せず、以前より一歩でも進んではじめて現状維持と近いものになるように感じている。

以前はこうだった、以前のように、なんてならない。世の中も心も変化したことを受け入れ、そこで何ができるのか考えていきたい。たとえそれが、きれいごとだったとしても私はそうやって生きていきたい。