上間陽子さんの『海をあげる』を読んだ。
沖縄で暮らす著者が、このエッセイを通して響かせてくる声はじわじわと大きくなり、読み終えて数日経った今、私の一部として心に住んでしまっているかのようだ。
私は沖縄に縁がなく、沖縄と言えば、陽気なひとが多く、のんびりしていて、けれど、基地問題に頭を悩ませているぐらいの認識で生きていた。
沖縄とはなにか。沖縄に基地があることについて、正直、深く考えることはあまりなかった。
この『海をあげる』は、そういった認識のなかった人に、少しずつ語りかけ、考える場を与えてくれているように感じた。また、家族や戦争についても考えることとなった。
この本、すべてが素晴らしいのだが、いちばん最初の「美味しいごはん」のはなしを読み、私はすぐにぽろぽろ涙をこぼしてしまったので、今回はこのお話のことを書くことにする。
私の娘はとにかくごはんをよく食べる。
この書き出しの意味するところ、それは、食べられなかった時期を経験した著者が、当時、友人が作ってくれた粕汁は全部食べようと心に決め、食べ始めたらあまりにも美味しかったことにあるのだろうと思った。
どれだけ辛くてもお腹は空くし、食べることは生きることだと理解したのだと思った。
著者が娘に教えたかったことの文章が好きだったので引用する。
これからあなたの人生にはたくさんのことが起こります。そのなかのいくつかは、お母さんとお父さんがあなたを守り、それでもそのなかのいくつかは、あなたひとりでしか乗り越えられません。だからそのときに、自分の空腹をみたすもの、今日一日を片手間でも過ごしていけるなにものか、そういうものを自分の手でつくることができるようになって、手抜きでもなんでもいいからそれを食べて、つらいことを乗り越えていけたらいいと思っています。
私の娘は私が作ったものを美味しそうに食べる。それを眺めていると、明るい兆しが見えず、止まっているかのように感じた世界が動いていると実感する。
美味しそうに食べる人は、同じ時間を過ごす者の気持ちを和らげる。
また、料理を作った人の心をも明るくする。
私は食べているひとの笑顔が見たくて、料理やお菓子を作ることがある。
少しだけ楽しくなったでしょ。
今日もおつかれさまね。
少しだけ時間がある今、「お菓子を作って子どもの帰宅を待つ」という、昔からやってみたかったことを実行している。
おそらく、生涯のうちのほんの一部、洋服に糸くずがついたぐらいの時間だろうけれど、そんなささやかなことって案外、記憶に残るのではないかと思ったりしている。
私が母親の作ったカップケーキを思い出せるように。