バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

ツナガル。

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雨上がり。

洗濯物を干そうと物干し竿を見ると、そこには水の玉がいっぱい、しがみついていた。

太陽の光があたり、キラキラと輝き揺らいでいる。

雨上がりのニオイや雨の音を聞いている時に思い出す人がいる。

カレーを食べようとスプーンですくった時に思い出す人がいる。

緑色の服を見て思い出す人がいる。

トカゲと遭遇した時に思い出す人がいる。

青い空を見た時に思い出す人がいる。

私の生活はいつでも誰かを思い出している気がする。

懐かしいとかそういうことではなく、それらのモノとヒトが頭の中でイコールで結ばれているからだ。

きっと誰でもそんな風に思い出す人がいるのだと思う。

イチゴを食べている時に「あの子はイチゴが好きだったな」って思い出すように。

 

それとは別に何かがある訳ではないのに、「あの人、どうしてるのかな?」と思い出すことがある。

「あの人、何か言いたいのじゃないかな?」とまで思う時がある。

それが毎日会っている人や頻繁に連絡を取っている人ならわかるのだが、数か月~1年以上連絡を取っていない人でも感じることがあるのだ。

あまりにも気になるので連絡をしてみた。

直接「何か言いたいことあった?」と聞くのは唐突すぎるので、「久しぶりね」とか全く関係のない話をメールにつらつらと書く。

しばらくすると返信が届いた。そこには連絡しようと思っていた、ちょうど私を思い出したところだった、そんなことが書いてあった。

中には「メールを送信しようとしたところだった!」とそのまま本文を貼り付けてきた人もいた。

 

しばらく連絡も取らず、日々の生活でそんなに思い出すこともなかったのに、その時だけはお互いを思い出すって不思議だなと思った。

とても嬉しいと思った。

 

私は実家からも多くの友達からも離れた場所で暮らしている。

たまに帰省しても、互いに子どもがいるので時間の都合が合わず会えない人もいる。

せっかく会う約束をしたのに「ごめん。子どもが熱を出しちゃって……」と断られることもある。会える時間がとても限られているので、この先もどれほど話をする時間があるのだろうと感じることもある。

けれども、ふとした時に互いを思い出す一瞬があるならそれだけで救われるような気がするのだ。

 

顔を合わせている時間が長いから親しいのかと言えば、そういうものでもないし、何かコレと言った言葉がなくても、しょうもない世間話だけで安らぐ時は安らぐものだと思う。

 

昨日、読んでいた本が読み終わり、「次は何を読もうかな」と考えていた。

そこで友達に「読んでいて心地良くなるような、私が好きな感じの本を教えて」とメールした。

メールをした後に、「ジャンルや作者を絞ってないし、めちゃくちゃ漠然としているなぁ。これで答えがくるのかしら?」と不安になった。書き直してもう一度メールしようかなとも思った。

だが、メールは返ってきた。

「リクエストのハードルが高いよ!」

怒りながらもそこにはちゃんと書名が書いてあり、くすっと笑った。

 

「ああ、こういうのってなんだか幸せだよな」って思ったのだ。

 

 

 

 実際どうだかわからないが、幸福な瞬間はそこかしこに落ちていてそれにいかに気づき拾えるかがカギとなる気がする。

 

プールの碁石拾いみたいにたくさん拾えたら良いのにな。。