思い出の地に立った時、人は何を思うだろう。
以前、葛西臨海公園でみんなで遊ぼうとなった時があった。
その頃遊んでいた友達はグループ内で誰かの誕生日がくると、皆で誕生日を祝った。
それも大抵はお店とかではなく野外。公園で丸いケーキを切って食べたり、河原でバーベキューしたりそんなことをしていた。その日も葛西臨海公園で友達の誕生日を祝う予定だった。
場所を聞いて、私は待ち合わせ時間より早く行こうと思った。
1人で海が見たかったのだ。
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葛西臨海公園はまだ付き合う前の夫と一番最初に行った場所だった。
その時は車で葛西臨海公園へ向かっていたのだが、彼は助手席に女性を乗せること自体に慣れていなかったらしく、緊張のあまり首都高で車をぶつけた。色んな意味で慌てていた。
警察を呼び、諸々の処理を終え壊れたフロント部が落ちないようにガムテープで止めた。ガムテープを貼った可哀想な顔の車は彼の表情と同じだった。彼はかなり気落ちしていたので私がこのまま帰っても仕様がないと思っていた様子だった。
「ねぇ、車は動くからさ、このまま行こうよ」
と私が言うと少々驚いた表情をしていた。私にはここで帰る選択肢なんてなかった。次はないかもしれないけど、今日は出来るだけ楽しく過ごさない?とただそう思っただけ。
葛西臨海公園に着き、海がある方向へ歩いていく。海なし県出身のため、なんだか海は特別なモノのような気がするのだ。
海辺で話すでもなくずっと波を眺めていた。誰かと一緒に来ていることを忘れてたぐらい波を眺めていた。ふと差し出された缶コーヒーで「あ、一緒に来てるんだった」と思ったぐらい。
会話がなくてもいられるなぁと漠然とそう思った。
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数年経ち、いつの間にか私はその人と結婚することになっていた。そんなタイミングで葛西臨海公園へ行く機会がやってきたのだった。
駅から噴水を横目に歩き、海に向かう。
海辺で1人海を眺めた。静かだった。周りに人はいたけれど、私の中は静寂しかなかった。
思い出の地で何を思うだろうと考えたけれど、私は何にも思わなかった。ただ、月日が流れて今ここにいること。その事実でしかなかった。
ここからの未来がどう進むかはわからないが、ただひたすら歩いていこうと決めた。
道はどこまでも続いている。
車を運転している時に道がわからなくなることが時々ある。
息子に「このまま進んでもいいかな?行き止まりじゃないかな?」と話すと「お母さんが『道はどこまでも続いている』って言ったじゃん。行き止まりだったらさっきの所まで引き返せばいいでしょ?」と言われた。
ああ、知らぬ間にそんなことを口にしていたのか。
道を間違えたり、行き詰ってしまったら引き返せばいい。そこからまたリスタート。
てくてく歩いて行けばどこかにはたどり着けるだろう。
進まないんじゃ未来は見えてこないと思うのだ。
まあ、そんなにうまくいくことばかりじゃないって知ってるけどね。
思い出の地に立った時、あなたは何を思いますか?