先日、ハイタイドの砂時計を購入した。
つるんとしたフォルムが可愛いこの砂時計は3分かけて砂がさらさらと落ちていく。
くるんとひっくり返し、砂が落ち行くと底面のガラスに砂があたる音がする。微かな音で耳元でないと聞こえない。「さらさら」でも「からから」でもなく、なんと形容したら良いのかわからないのだけれど、私はその音がとても好きだ。底面いっぱいに砂が溜まったら、ひっくり返して片方の砂をからっぽにし、またひっくり返す。気持ちの良い音なので何度でも繰り返してしまう。
砂が落ち行く様を眺めていると、ゆったりと時が過ぎていくように感じる魔法にかかる。
3分って長いなぁと思うけれど、1年があっという間に過ぎていく私の3分は、言葉が出ないくらいの速さなのかも知れないとも思う。
なぜ、小学生の頃は1年があんなに長く感じたのだろう。狭い行動範囲で同じような顔ぶれの中で過ごしていたからであろうか。吸収するものが膨大で記憶の中の占める割合が多いからであろうか。
ブログを書き始めて、私は幼い頃の記憶が比較的ある方なのではないかと感じ始めた。美化されたり、上塗りされた記憶もあると思うが、その出来事があったことを覚えているのは間違いない。この10年間に起きた出来事を思い出すより、小学生の頃の思い出話の方がするする出てきたりもする。
息子が眼鏡をかけるようになったり、娘が1週間で2本も歯が抜けたり、現在の私の日々は私自身のことより子どもの出来事とともに記憶されていく。私自身のことはほとんど残らない。それが特に困ったことでも悲しいことでもないのだけれど「ちょっとは私のことも覚えておこうか」と子どもを抜きにした記事を書いたりしている。
あとで、自分がこっそりと読み返すために。
誰のためでもない、自分のために。
全てが忘却の彼方へ行かぬように。
さて。砂時計をひっくり返そう。
砂の落ちる音を聞いて、目に見える3分を過ごしてみよう。
コトリンゴ「ツバメが飛ぶうた」MUSIC VIDEO - YouTube
砂時計の砂が全て落ちようとしている様はアリジゴクのように見えてくる。
砂が全て落ちたら地獄の始まりだったりして。
そうだとしたら、しんどいしんどい言いながら這いつくばって、ごろんと寝転がってやろう。