バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

思いを言葉にする


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土曜日。

津あけぼの座で下鴨車窓『透明な山羊』を観た。下鴨車窓を観るのは『漂着』に続いて2度目。

実は『漂着』はあまり好きなタイプではなかった。私が『漂着』を観たのは調べてみると6年前。私が三重県立文化センターで演劇を観始めたのは8年前ぐらいなので、おそらくあの頃のペースで考えると演劇を観始めて5、6回目くらいだと思われる。それまで観た舞台はどれもある程度は自分で消化でき、心が軽やかになっていくばかりだったので「演劇面白い!サイコー!」というお花畑にいるような心地で観劇していた。そんな私にとって『漂着』は、なんだかある意味刺激的であり、難解であり、演劇の話をする相手がいなかった私にはモヤついた思いだけを残す作品となってしまっていた。

あれから数年。

ここにきて、「1度しか観ていない下鴨車窓に苦手意識を持ってはいかん!と思い、今回は『透明な山羊』を観劇した次第である。

さて、では『透明な山羊』はどうだったのかと言うと、ペラっとした感想で言えば面白かった。この「面白い」はお花畑にいるような心地で感じる「面白い」ではない。『漂着』を観てから色んな舞台を観て、人と話し、さまざまな角度から1つのモノを観る楽しみを知った。それらがあっての「面白い」だったように思う。

翌日、ニネンノハコで行われた「勝手にアフタートーク」に参加し、下鴨車窓『透明な山羊』についてたくさんの思いを話した。

スタートは気心の知れた演劇を愛する方々と話をしたため、ヒートアップしすぎて言葉が乱れ、周りをビクつかせていたけれど、それも含めて『透明な山羊』は面白かったと言えるのではないか。

答えのない物事を「私ではない誰か」はどんなふうに感じているのか。それが新しい視点であるほど、より深みを増し、投げかけられた疑問に皆で頭を悩ませることもまた楽しい。

人の生み出した作品にあーだこーだ話す相手がいることの楽しさを、私は手に入れることが出来ているのだと、実は静かに喜んでいた。

楽しい場を設けて下さり、ありがとうございます。

 

***

ここ数年、自由についてよく考えている。行動の制限から解放される自由もあれば、閉ざしていた心をオープンにする自由もある。

私は長く好きなものを語ることが怖くて仕方なかったのだが、受け入れてくれる相手ができたため、最近は虫が好きだとかきのこが好きだとか何でも勝手に話している。


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私は誰かの「好き」な話を聞くのは大好きなので、今度お話しましょう。

何処かですれ違ったら声をかけて下さいね。

とりあえず、猫をかぶって静かに聞きます!

わたし、すぐうるさくなるので!!