意識せずとも鼻腔を刺激していた金木犀の香りはいつの間にか何処かへ消えていった。
半袖を着ればいいのか、それとも長袖にするか、悩んでしまうような気候は私の移ろいやすく、ぐらぐらしている心のようだと思う。
手を伸ばしても届かないものへ思いを馳せ、これではいけないと手を引っ込める。
それでもやっぱり欲しくて欲しくて恐る恐る手を前へ伸ばす。
「もう、だれか私の手を引っ張ってくれないだろうか」
期待しながら静かに絶望する。
1年前の出来事が遠い昔のことのように感じる。それなのに2年前のことは昨日毛布でくるまれていた気持ち良さのようにいつでも思い出せる。棘のあるものは排除し、柔らかいもので心を満たそうとする私の防御反応。
現実を直視していないと言われればそれまでだが、現実を受け止めながら防御するのは生きる術なのではないだろうか。
先日、寺尾紗穂さんが下さったメールに寄せ植えのお花中心の生活をしていると書かれていた。誰もがこの世の中の閉塞感から身を守るために生きる術を探してる気がする。
「こんな時だから!」と明るく振る舞うあのひとの心のうちなど誰も知らない。声を発することもなく、静かに耐えているあのひとの心のうちなど誰も知らない。
私に見えている誰かの姿はそのひとを形成する何パーセントなのかと目を凝らし、首を傾げている。
私の不安はきっと尽きない。
だからできることをやっていくだけ。
ルイーズ・グリュック『野生のアイリス』を読んでいる。気が向いたときにぱらぱらめくり、目に留まった詩を読む。
それだけでもう何もかも良いような気がする。
傘のむこう
あなたに会いに行こう