バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

穴から這い出てダンスを踊る

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金曜日夜、不思議少年×津あけぼの座『寿』の初日公演を観るために、津あけぼの座へ向かった。扉の前で開場時刻までしばらく待った。時間になると、扉がゆっくりと開いた。扉を開けたのは4月から四日市市文化会館のアートディレクターに就任した油田さんだった。「油田さんはちゃんといらっしゃるんですねぇ」と思わず声をかけたら「混んでてギリギリでした!」と笑いながら仰られた。

油田さんを見ながら、はじめて津あけぼの座を訪れた時のことを考えていた。このような芝居小屋へ来るのがはじめてで緊張したけれど、とても興奮したことだけが記憶に残っている。そこからしばらくは毎回緊張していたし、別の意味で心が重いこともあったけれど、今や軽い足取りでお芝居を観に行けている自分がなんだか可笑しかった。靴を脱ぎ、座布団に座る。今回は前過ぎない3列目にした。3列目と言うと、ずいぶん前の方じゃないか!と思われるかも知れないが、あけぼの座は5列目くらいまでしかないので3列目は真ん中あたりになる。しばらくパンフレットを眺めていたら、声をかけられた。本の会や色んな場所で一緒になるトリさんだった。知り合いの顔を見て私は気が緩くなり、もはや、あけぼの座が自宅ではないかと思えるくらいリラックスしていた。またしばらくすると、先週お会いしたばかりの県立文化会館の松浦さんがやって来たのでご挨拶をした。「これは常連さんばっかりで……」と話す松浦さん。確かに周りを見渡すと見知った顔の方がいらっしゃった。松浦さんの登場により、楽しいながらもやや緊張していたら、仕事帰りですよー!と言わんばかりのソントン氏が入って来たので、手招きして松浦さんのお隣に座ってもらった。これで、私の緊張は解消された。(ソントン氏はさすがにやや緊張しながら観劇していたらしい)

さて、楽しみにしていた不思議少年×津あけぼの座の『寿』は、三重の銭湯を舞台にした百年の物語だった。少人数の役者さんが幾つかの役を掛け持ちしており、さっきまで子どもを演じていた人が、次はお婆ちゃんになっていたりして(ちゃんとそう見える)興味深く、とても面白かった。

人生を辿っていくと、穴のなかで生活しているような光の射し込みづらい期間と、燦々とかがやく太陽の下でダンスをしているような期間が微妙に混じりあっていて、泣いたり笑ったり本当に大変だなと思う。

隣の人が楽しそうに見えても、内情は果たしてそうであるのかわからないこともある。みんな、「生きる」ことに懸命で「生きる」ことを演じているような気もしている。

私の「生きる」を人に話すと、ハードモードですねと言われることもある。けれど、「不幸そう」と言われることはない。というか、「不幸そう」なんて言葉を面と向かって放つひとは近くにいない。それはわたしが求めて、作り上げてきた環境であり、幾つかは壊れて、幾つかは再生されていくものだと思っている。

これからの「生きる」に希望を持っているかと問われるとそこまででもないけれど、悲観するほど絶望を感じているわけでもない。

移り変わる世界のどこに身を置けば、私ができるだけ楽しく存在できるか。

考えるのはそれぐらいだ。

あとは周りのひとが少しでも穏やかな暮らしができればいいと願うし、そのひとに幸福なことがあれば一緒に喜びたい。

私の存在価値を他者に委ねることはしないけれど、誰かが私のことを存在していて欲しいと願ってくれるならば、それほどの喜びはないだろう。

 

また明日、そのまた明日。

積み重ねたその先で、いつかお会いしましょう。