バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

沙東すずさん『奇貨』読みました

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沙東すずさん(旧 メレ山メレ子さん)『奇貨』を読んだ。

恋人を終わりを迎えたことによる数々のエピソードをX(旧ツイッター)にたくさん投稿されていたのを眺めていた頃から「これは本になるはず。まとまった文章になったら必ず読む」と決めていたのだった。その頃のすずさんの投稿にたくさん「いいね」をしてしまったので気持ち悪がらせてしまったかもしれないと後から思ったので、この場で謝っておきます。ごめんなさい。出来事が良かったわけではなく、「私も知っている何か」と「辛さをたくさん言葉にして出して欲しい」気持ちが合わさったのです。

 

『奇貨』は先にも触れたように、すずさんが恋人に唐突に別れを告げられた話である。ここまで開示してもいいの?と読んでいるこちらがドキマギしてしまうくらい、数々のエピソードが書かれており、時にはナイフで刺されたような気持ちになった。

つまるところ、恋人の心変わりであり、おそらく大なり小なり多くの人が体験したようなことなのかもしれない。けれど、個人の気持ちに大小などなく、自らを立て直す上で言葉にすることが必要であれば、どんどん書いていいと私は思っている。というのも、私もこちらと似たような経験をしたことがあるのだが、私は自分のために言葉にすることよりも相手の立場を慮ってしまったのだった。その選択が間違っているとは思わないが「まずは自分を大事にする」という根本的な回復への道を自ら閉ざしたため、とてもしんどい思いをしたのだ。周りが何を言おうが、まずは自分が楽しいことを楽しいと思えるぐらい、回復するのが最優先で良いと思う。そこから新たに構築される人間関係はより良いものになるはずだ。というより、なってほしい。

さて「心変わり」とはなんだろうか。

心が変わったと言えば、すべてが許されるのだろうか。相手のあることだから、その相手から心が離れることがあるだろうことは理解する。ただ、そうあるならば、一層、悪者になってもらいたい。それでも「よいひと」に見られたいと思わないでもらいたい。すずさんも書かれているが、心が離れたことよりも、そんな言い訳で簡単に納得する相手と軽んじられたことに腹が立つのだ。自分はいい人に見られたい、けれど、あなたはそれぐらい許してくれるでしょ。みたいな考え、どんだけだよ!って、読みながら腹を立てていた。こちらは長く時をともにした相手であるのだ。どんな人であるかも多少は理解しているはずなのに、どうしてそんなことができるのか。もしかしたら、長く時を共にし、お互いわかった気になっていただけではないだろうか。言葉が足りなかったのではないだろうか。そもそも私が足りていなかったのではないか。もはや人格否定になりかねないとは言いすぎだろうか。

一度、心に深く残った傷は表面上の関係が終わりを迎えても長く残り続ける。疑心暗鬼になり、知らぬ間に行動に制限をかけている。それでもどこかに回復の糸口があると思いながら今日、ここに立っている。

すずさんが「楽しくなるためにすること」を別れを告げられてから1週間以内に作ったと書いていたのだが、私も同じことをしたので笑ってしまった。今も「楽しくなるためにすること」を日々更新している。

どんなかたちであれ、すずさんの文章を読めたことは私にとって幸福なことだ。なにしろメレ山メレ子さんの『ときめき昆虫学』を読んで、友人を誘いエスカルゴ牧場へ行ったのだ。めちゃくちゃ元気な高瀬社長が口の端に泡をためながらエスカルゴとご自身の話をするのを楽しく眺めた。あのときは手に這わせたエスカルゴがゆっくり動いていくさまに、心の回復を願った。

どこかではっきりとした区切りが見えることはなく、回復に2年かかる、3年かかるなども個人差がある。ただグラデーションのなかで過ごし、いつしか暖色が増え、穏やかに過ごせる日が1日でも多くなっていてほしい。

私はいまだになんかもやっとするけれど、今日も生きています!

 

すずさん手書きのマンドラゴラちゃん、かわいい。
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『奇貨』ぜひ、読んでねー。