バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

何者かの手によって

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先週ぐらいまで上腕、肩、背中が重く、寝てもラクにならなかったため、娘に湿布を貼ってもらっていた。娘が貼った皺のよった湿布は貼付直後は特に何も感じないのだが、数分経つとひんやりしてきて思わず笑った。

「うひゃひゃ」

これを3日くらい繰り返していたら、娘に笑うよね、笑わないでね、と警戒され始めた。なんていうか、誰かにくすぐられたとか腕をぷにぷにされたとか、そういった類いのちょっと嬉しいようなうひゃひゃは自然と出てきてしまって自分ではどうにもならなかった。

週末、くるりのライブへ行ったあとくらいから次第に肩がラクになってきた。血行が悪かったのか、何かが乗っていたのかはわからない。もしかしたら、忙しくて気を張っていたためなのかもしれない。そうだとしたら、自然と笑いが出るように湿布を張るように誘導されたのかもしれない。何者かの手によって。

 

くるりのライブへ行く前に伏見ミリオン座で『市子』を観た。

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なんだかすごいものを見てしまった。

重たい過去を持つ「市子」を演じている杉咲花は、明らかに市子であった。陽の当たらない心を持ち合わせていた市子は、他人から与えられる眩しいくらい無邪気な誘いや好意に敏感であり、嬉しさのあまり大きく心が乱れてしまう。それらのシーンが現れるたび、私の頬に涙が伝っていた。今日をやり過ごすことで精一杯の者は、一筋でも未来を見せてくれた相手のことを忘れることはない。閉ざされたドアを開き、光を注いでくれた人のことを忘れることはない。その後の関わりが継続してもしなくても、だ。

むしろ、その想いがあれば、今後の困難を乗り越える糧になる可能性も秘めている。手を差し伸べた者にとっては、ささやかな関わりでもそれくらいの想いで受けとる者もいる。それを重いととらえないで欲しい。こちらの気持ちを押しつけることがなければ、そっとしといてもらいたい。

涙をマスクで隠し、雑踏を歩いた。歪んだ青いイルミネーションが美しかった。すれ違う人々の弾んだ声がどこか居心地が良く、どこかさみしかった。