バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

制限と自由

津示路教会で午後に開催される箱舟古本市に出店する予定があったため、午前中は礼拝に参加した。

津示路教会は日本基督教団なのだが、私が幼い頃から通っていた教会も日本基督教団の教会なので、礼拝はいつもリラックスして参加している。たいして、知人の牧師は「なんだか緊張して汗が止まらない」と話していた。私が礼拝に参加するとき、いつも牧師が緊張すると話しており、もしや私が緊張の原因なのではないかと思った。息子は「きっとそうだ」と言ったが、そうではないことを祈る。

さて、牧師は説教でノアの箱舟の数十日にも及ぶ舟の中での生活は閉塞感で溢れていた話をされていた。それをウイルスが流行し、行動制限されて苦しかった牧師の体験とともに語った。好奇心に溢れた牧師はおそらくとても息苦しかったことだろうと容易に想像できる。ただ、この話を聞いていたとき、私は共感よりもさきに、好奇心旺盛の私がそこまで苦しまなかった当時を振り返っていた。

コロナが流行し、行動が制限され始めた時期の約1年前、私は子どもを連れて家を出た。いわゆる昼逃げをしたのだ。それ以前の行動制限と明日が来ることに希望を持てず、ただ、消化するだけの日々は生きているのか死んでいるのかわからなかった。よって、コロナによる行動制限などたいして問題ではなかった。確かに行動は制限されているが、私の心は自由だったのだ。自分で掴んだ何にも脅かされることのない住居にいることはそこまで苦痛なことではなかった。あの頃、コロナが流行する前に家を出て良かったと子ども達と話していた。もしも、コロナ流行以後なら実行できなかったかも知れないと思うと……もはや考えることを放棄する。私は逃げる時期をずっと考えていたので、あの時期はある意味ベストだった。子どもの親権を高確率で得られるタイミングと年齢、そして子とともにチームとして動く役回りを決め、短時間で実行したのだ。ただ、ある意味ベストだったと語ったのは失ったものもあるので、もう少し私の勇気があれば半年くらい早くできたかも知れない。いつ刺されるかもしれない覚悟はそう簡単には持てなかった。

何にも脅かされることのない住居に住んでもうすぐ5年になる。

あんなに住みやすかったのに、5年も経つと子ども達が成長し、2LDKの部屋では手狭になってきた。物理的に狭いというより、それぞれがプライベートな空間を必要とするあまり、些細な衝突が増えてきた。家族でみられる良くある風景であり、お互いに信頼関係が築けているからこその衝突ではあったが日々をできるだけ平穏に暮らすうえで、ひとつの課題になりつつあった。

ちょうど4月から息子が社会へ出るため、この部屋から出ていく。これで課題はひとつクリアされる。私と娘のふたり暮らしになったら、また新たな課題が出そうな気もするがとりあえず今は考えないことにする。

このように振り返っていて、実に私はわがままであるかを思い知った。制限のある場所から子どもとともに逃げ、新たな城を築いたのに手狭になって暮らしづらくなり、ため息をつく。足りなかったものを得た直後は満足し、得たことに感謝するが、それが継続されることもなく馴染み、当たり前になっていく。まったくダメな人間である。

ただ、自分がそのような人間であることを自覚し、持っているものを再確認すれば、自ずと他者へ手を差し出せる気がしている。

人間ってそんなものではないだろうか。