バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

「泣ける本」という表現が苦手です

「泣ける本」と銘打たれた本が苦手です。

実際に読んでみれば私も泣くかも知れないのだけれど、帯やPOP、見出しに「泣ける本」と書かれてしまうと、どうにも食指が動かないのです。むしろモヤモヤしながら一歩二歩と後退りしてしまうぐらい。「笑える本」と書かれている時はそこまで苦手ではないのに、どうしてだろうか?なんてうっすらと考えてみました。
おそらく「泣ける本」と書かれてしまうと「誰でも泣く→泣かなければいけない(もしくは泣かなきゃおかしい)→泣けない私は変なの?」みたいな思いが何処かに残るからだと思います。
そもそも「泣く」というのは嬉しくても悲しくても痛くても切なくてもわき起こる行為です。けれど「泣ける本」とされた場合、大半は広い意味での「感動する本」であると私は思っているので「泣ける本じゃなくて感動する本でいいじゃん」って気持ちになってしまうのです。感動は心が動かされる訳だから、泣く行為に限定しなくても良いし、「泣ける本」ほどの違和感を感じずにいられます。
泣くってけっこうハードル高いし、「さあ、泣こう!」と思って泣く人ってあんまりいないですよね。
まあ、実際のところ「泣きたい!何が何でも泣きたい!」と思っている人もいるかも知れないので、「泣ける本」はアリかも知れないんですけどね。
で、私なら「泣ける本」じゃなくてどう書かれていれば手に取るかなと考えたんですけど「泣いた本」だったら良いかなと思いました。「◯◯書店文芸担当の『感動泣子』が泣いた本ですっ!」と書かれていたら「『感動泣子』って誰やねん!」とツッコみながら興味を持っちゃいますもん。誰かが泣いたってのは、それ自体に嘘はないので「ああ、私はこの本を読んでも泣かなかったけど感動泣子は泣いたのか」と思えば良いだけですしね。
 
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涙は思わぬところでぽろぽろ溢れるのが良いんじゃないかと思います。
自分でもコントロール出来ない「ヒト」の感情が溢れた涙は美しいじゃないですか。
「え?なんでココで泣くの?」と思われたってそこには琴線に触れる何かがあったのかも知れません。
 
私のことわかるはずないのに、簡単に「泣ける」って言われたくない。泣けるスイッチはみんな違うところに付いているのです。
 
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で、最後になんですけど、ここまで書いたので「『バンビのあくび』のえこが泣いた絵本」を一冊ご紹介して終わりたいと思います。

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この絵本は「ねこの絵本」記事にも書いたんですけど、何度でも紹介します。読む度に泣くという事はないですけど、どこか切なくて何が幸せなのかなと考えてしまいます。切なさ、強さ、儚さ、温かさ、言い出したらキリがないくらい、色んな視点で読んでいます。

まあ、一言で言い表すと「きいろいビートルを大事にしたくなる本」ってことになっちゃうんですけどね☆



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