バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

20190915 ~「本の会」 セウォル号事件、3.11以降の文学について話しました


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ひびうたで行われた「本の会」に参加した。先月に続いて2回目である。書いていなかったが、こないだ「音楽の会」にも参加した。もう、ひびうたへの道順もだいぶ迷わなくなった。

 

今回、私は「ヒキガエルがいく」を紹介しようと決めていた。だが、この本を紹介するにあたり韓国文学、その中でもセウォル号事件以後の文学について話す必要性を感じたのでキム・エラン「外は 夏」も一緒に持っていった。

今、韓国文学はチョ・ナムジュ「82年生まれ、キム・ジヨン」の人気とともに盛り上がっていると思う。私も例にもれず韓国文学をいくつか読んでいたのだが、最近の韓国文学=フェミニズムという捉え方の他にセウォル号事件後の文学があると知った。日本で3.11後の文学(代表的にはいとうせいこう「想像ラジオ」らしい。私は想像ラジオは読んでおらず彩瀬まる「やがて海へと届く」は読んだ。後者も3.11後の文学と位置付けられると思う)があったように、韓国ではセウォル号事件を受けて書かれたと思われる本がいくつかあり、その代表的なものの1つがキム・エラン「外は 夏」らしい。「外は 夏」は7つの話からなる短編集なのだが、すべてにおいて共通のテーマ「喪失」が感じられ、読んでいて苦しくなり読み終えるのに時間がかかってしまった。短編集というとその中のひとつが本のタイトルとして使われることが多いのだが、この本には「外は 夏」というタイトルの話は入っていない。そのタイトルの真意は著者のあとがきの冒頭に書かれている次の言葉から見えてくる。

夏を迎える。

誰かの手を今も握りしめる人、離した人がいるようにあるものは変わり、あるものはそのまま夏になる。

どういうことかは以前に翻訳家の斎藤真理子さんがツイートしていた内容と照らし合わせるとよくわかる。

つまり「春で時間が止まった人たちがいる。それでも、外は夏」ということ(春はセウォル号事件のあった季節です)

皆が迎えてる夏を迎えられなかった人達がいる。そのことを考えるとさらに苦しくなった。

この短編集の最初にある「立冬」には次のような一文がある。

よってたかって「これだけ泣いてやったんだから、もう泣くな」と、茎の長い花で妻に鞭を加えているように見えてきた。

喪失や痛みはそんな簡単に割りきれるものではなく、この文だけで泣けてきてしまった。

 

さて。ここから「ヒキガエルがいく」の話に移る。3.11やセウォル号事件後の文学を語る時、いわゆる大人向けの本のことばかりにクローズアップされがちだが、児童文学や絵本にもそう呼ばれるものが存在している。3.11で言えば、私が読んだものだと、いもとようこ「風のでんわ」、児童文学だと柏葉幸子「岬のマヨイガ」などがある。そしてセウォル号事件後の文学にあたる絵本が「ヒキガエルがいく」である。

ヒキガエルがいく」はインパクトのあるヒキガエルが表紙のため、さてさてどんな話だろうと読み進めるとトン、ドンドン、ダンダン、などの擬音とともにリアルに描かれたヒキガエルが群れをなして進んでいくような絵本だった。力強さは半端なかったし、音の楽しさもあったので素直に面白い絵本だと思った。だが、この絵本にこめられたものはそれだけではなかった。まず、この絵本は太鼓の音だけで書かれているという点。なぜ太鼓なのかというと、韓国の仏教では、鐘は人間のため、太鼓は動物のため、木魚は昆虫のために鳴らすと言われているからだ。著者はこの絵本を読み聞かせするとき、実際に太鼓を叩いてすることもあるようだ。

そして注目すべきは絵本の最後にか書かれている著者の一文である。

たいへんなことがあっても、また起きあがり、てくてく歩きだせますように。

この言葉を読んだあと、もう一度はじめから読み直した。ただひたすら前に進んでいくヒキガエルに泣きそうになった。

喪失からの回復は容易ではなく、薄っぺらい言葉で語れる何かを持ち合わせていないけれど、とにかく私も進んで行きたいと思った。重い足を両手で持ち上げてでもいいし、時間をかけてもいい。でも前には進むんだという気持ちだけは持とうと思えた。

 

ここまでのことを私は伝えたかった。伝えられたかわからないけれど、今ココを読んで下さっている誰かに伝わると嬉しいな。

 

***

「本の会」全体を通しては今回も面白い本をたくさん教えてもらい、笑ってつっこんで考えて…と楽しく過ごさせてもらった。前回より人数が少なかったぶん、世間話も出来たので「あー、話をするって楽しいな」と当たり前のことを思った。

やっぱりどこか寂しいのだと思う。

素直な思いを話すことも出来たので、その間だけは気を張らなくてすんでラクだった。

帰りの運転がどこかへ飛んでいってしまうのではないかと思うくらい気持ちが良かった。

また参加させてもらおう。

私はまた本を読もうと思う。

 

ヒキガエルがいく

ヒキガエルがいく

 

 

外は夏 (となりの国のものがたり3)

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