なだらかな坂道を車でのぼっていく。前を走る車は高齢者を意味するマークがつけられており、ブレーキを必要以上に踏むのかブレーキランプがちかっ、ちかっ、と頻繁に光っていた。
「←駐車場」
と書かれた目印をを頼りに左折してみると、すぐに砂利が敷き詰められた駐車場が現れた。
駐車場と言っても、一台分ずつの区切りがされているわけではなく、砂利を敷き詰めた、ただの広い場所だった。車を動かし、空いている場所に止めた。
ふぅ。
息を吐いてから外へ出た。駐車場から、人がひとり通れる幅の小さな階段を使い、道路へ出る。地図が描かれた看板の前で足を止める若い男女の後ろを通り、適当に歩きだした。
高齢の女性が両腕を支えられながら坂道をゆっくり下っていたので、その後ろを同じ速度にあわせ、ゆっくり下った。
「よいしょ、よいしょ」
高齢の女性の歩みに合わせ、心の中で唱えている自分に気がつき、なんだか可笑しくなった。
ひんやりした空気が私を包む。木々の葉は自分が染まりたい色を選んでいるかのように自由だった。自然の色を私は上手く表現することができないなぁと考えていた。
川に沿ってしばらく歩いていると、前方に小さな橋が見えてきた。
私は橋が好きなため、知らぬ間に早足で歩いていた。前には小さな子どもと手を繋いで歩く2組の親子がいた。まだ、ひとりで歩くのには覚束ない子を、手で誘導しながら歩いたことが私にもあった。もちもちした手を握って歩いたのはほんのわずかな期間だったが、今でも思い出すことができる。毎日、大変だけれど、時折見られる柔らかい時間は10年以上たった今は子どものふとした動作の中で甦る。面白いことだ。
橋には3段程度の階段があり、よちよち歩く子どもが降りるには1段がやや高かった。階段の前で足を踏み出すことをためらう子を母親がひょいっと抱き抱える。
「ワープ!」
私はその行為をワープと呼んでいたことを思い出したのだった。
子どもは抱き抱えられたことにより、後ろを歩いていた私と目があった。クマを模したもこもこの帽子を被っている後ろ姿で、なんとなく女の子だと思っていたが、目があったその子は男の子だった。私が微笑むとにこっと笑ってくれた。可愛らしかった。
母親が私に道を譲ってくれた。子ども連れは気兼ねなくゆっくり歩きたいだろうから、私は先に行かせてもらうことにした。
木々のあいだから見える空が綺麗だった。
ひとりで歩くことでしか感じることのない景色がある。
誰かとともに、歩くのも良いが、私にはひとりの時間も必要であり、大事にしていきたい。
集団で歩く年配の男性が蹴飛ばした石ころが、私の前を転がり、川に落ちた。
多くの人々のなかで、わたしは「わたし」として生きている。
どれだけ恨まれようとも、どれだけ蔑まれようとも、わたしは胸を張って歩く。