ざわざわしそうになる心をできるだけ奥に追いやって、楽しいことを考えるようにしている。
信じるとか信頼してるというより、仕事をする上でも含み、少しばかり心を許していた人たちがことごとく遠くへ行ってしまった。それは、私が直接関係しないものもあるのだろうけど「周りのひと、たくさんいなくなっちゃったな」という思いと事実はここにある。やるせない。
私は、周りに影響されない自分でいることだけを考えて日々を過ごしている。そうしないと。いちいち探ってたら身がもたない。
何日か前に、Twitterで「家族の仲が悪いと家の中も荒れる」とツイートしていた方がいて、その通りだと思った。
私が別居する前、私が日々を過ごしていた部屋は荒れていた。理由は明確で、家に居たくないため外出することが多いことと、家に滞在しているときは、やる気も起きず息を潜めて暮らしていたからだ。当時、近々家を出ると宣言した手紙を元夫に渡したら、私を中傷する長文とともに私の荒れた部屋の写真が私と、私の実家へ送られた。
私はその後、別居し、しばらく心を整えてから離婚に踏み切るために、弁護士に依頼したのだが、そのときの手紙と写真をそのまま弁護士に渡した。
元夫は、きっとその写真を、
これだけ家事ができない、出来損ないだから色々指導してやったんだと言いたかったのだろう。
弁護士はその写真を見て、
家事がままならないくらい追い詰められていたんですね、と言った。
ひとつの事実がそこにある。
けれど、見る角度によって見える世界はまったく違うものになる。
昨日、ハイバイ『投げられやすい石』を観るために県立総合文化センターへ向かった。
総文では、ちょうど竹あかりのイベントを行っていたので開演前にちらっと見ることにした。
多くの人が暗闇を消し去るようなあかりに目を奪われていた。多色の鮮やかなイルミネーションとは違い、単色のみの落ち着いた光はかえって眩しく思えた。
ハイバイを観劇したあと、外に出るとまだ、竹あかりは点灯しており、人も少なくなっていたのでもう一度近くに行ってみた。
先ほどは見ることの出来なかった細かい部分を眺め、ふと上を見上げたら、上から竹あかりを見ている人がいることに気がついた。いてもたってもいられず、螺旋階段を駆け足でのぼり、デッキに出た。
竹あかりを全体から見渡せる位置。そして、人との距離を気にせずにあかりを眺められることに心が弾んだ。
闇とあかりと頬に感じる冷たさ。
どれが欠けても今の私の心には響かなかっただろう。
私は息を止めて、ただ静かに眺めたのだった。