足の裏に意識を集中させ、地の上に立っている自分を感じる。
立っているということだけで幸せと思えた日を想像する。
それができるならもう、何もなくてもいいのではないかと思う。
何年も暗い水の中から浮上出来ないでいるような気がしている。光の射す方向へ泳ぎ、水面から顔を出そうとすると、カラスにつつかれ痛くて水の中にぶくぶくと沈んでいく。
私がひとり、頑張ろうとすると、何かしらやってくるようで、だんだん顔を出すのが怖くなってきた。
未だに私があたかも共犯と間違われるような行動をした人たちの情報が入ってくる。その内容が何気ないことでも、私はとても苦しくなる。こちらは疑問だらけでしんどいのに、のうのうと生きて……と思ってしまうこともあり、そんな自分も嫌になる。
私の心が荒んでいるのだろう。
ここ数年でおきた事柄はそれぞれ私に深い傷をつけていった。当初はわからなかったけれど、かすり傷ではなかったのだった。それが、顕著に感じられるのは痛みを伴う映像や舞台を観たときだ。以前はなかったけれど、ガタガタ震えたり、呼吸がおかしくなることがある。何かしらの楽しい光景や好きなものを思い浮かべ、お守りがわりにぶら下げている活版をぎゅっと握りしめてその場をやり過ごす。
かすり傷であれば、もっと軽やかに動けていると思うし、こんなに苦しくなることもなかっただろう。
少し前に受けた健康診断で再検査となったので、今日は朝からものすごい集中力で仕事をし、午後から病院へ行ってきた。検査をしてくださる方、看護師などが私の不安を取り除くように声をかけて下さったのだが、それだけで涙がこぼれてきそうだった。
私はしばらく優しいことばををかけてもらう機会がなかったのだと気がついた。
子ども達はもう、小さくはないけれど、それでもひとり親でどこまでできるのだろうという不安がいつもつきまとう。悩むことがあっても、子ども達を不安な気持ちにさせないようできるだけ笑って過ごす。
そうやって仮面をつけることにも慣れすぎたようで「えこさんはいつも楽しそうだ」と言われることが多い。
その言葉は、負のオーラを纏う私を隠せたという安心感と少しの寂しさを私にもたらす。
すこしねむっていたい。
ただ、柔らかい草の上に横たわっていたいだけなのだ。