先日、調停離婚が成立した。
離婚が成立すると、心が軽くなるのかと思ったがまだ何か重たいものが残っている。届いた調書を役所へ提出したらまた少しだけ軽くなるような気はしている。
調停を申し立てるにあたり、裁判へ移行することも想定していたので、短い期間で終えられたことにホッとしている。特に用意していた多くの資料を使わずにすんだことに安堵した。
調停は話し合いの場であり、ここで何もかも話すことは得策ではないと、弁護士と決めていたのだ。
今回のことで離婚調停、裁判にたいする知見を得たことは今後に生かせるような気がしている。何事も学びなので、ただの辛かった思い出で終わらせることはしないと決めている。
調停は調停員の心証次第でその先の流れが変わってくる。先ほど、調べたら調停員に対する話し方などをレクチャーした記事をいくつか見つけたのだが、私はそれらをまったく見ずに挑んだ。もし、話すのが苦手な場合はそういったものを参考にした方が良いのかもしれない。
私は、今までに学校との交渉や話し合いを何度か経験しているため、それが少なからず役に立ったと思っている。
事前に頭を整理し、時系列で事実を伝えること。感情を出しすぎないこと(ポロッと出てしまうのは構わない)。話すことに一貫性があれば、相手がその意見を採用しやすくなることは明確である。
私は代理人として弁護士に依頼していたので、足りないところはフォローしてもらったが、弁護士から「あなたの言葉で十分だと思います。資料を提出するより話していきましょう」と言われた。
私の言葉で話すことの意味とそれが可能と考えてくれた弁護士との信頼関係が私に自信を持たせてくれた。ずっと手を握りしめ、過去を思い出しながら話した。時々、手が震えた。緊張というより、過去を思い出し、言葉にすることが苦しかった。
何かを決めると言うことは、それほどの痛みと恐怖にもう一度向き合うことなのだ。
調停離婚が成立し、裁判官が調書を読み上げる最後の最後まで私は相手と同じ空間に入ることを拒否した。
それが私を守ることだった。
昨年の4月に別居を開始してから、自分がどれだけ痛みを伴っていたのか、さまざまな場面で知ることとなった。当初は書類に相手の名を書くことさえ、手が震えて出来なかった。一緒に住んでいた家の前に面している道は未だに通ることができない。調停は調停員がいる部屋に交互に呼ばれるのだが、相手が先ほどまでこの部屋にいたのかと考えてしまうと、呼吸が苦しくなったので考えないようにした。
公の場でひとつの区切りがつけられても、私の心はスパッと区切りがつけられるほど器用には出来ていない。
ただ、それでも過去に縛られて生きていくことは、まだ長いであろう私の人生に彩りがなくなると思うので少しずつ解放していく。
もう、未来しか見なくて良いのではないだろうか。
未来は希望で埋め尽くされているわけではないと理解しているが、だからと言って悲観的になることもない。
知らないものが待っている。
知らない明日がやってくる。
未知なるものに対する好奇心を今こそ、存分に発揮するときだと私は考えているのだ。
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私を心配してくれた方、寄り添ってくださった方、ありがとうございます。
また、家族としてのカタチを再構築して楽しく暮らしていくつもりです!