物事はなんでも、基本をある程度理解してからアレンジを加えるものだと思う。
それを一番最初に学ぶのは算数のような気がする。基本の計算ができなければ応用問題が解けないことを多くの人が知っている。
それなのに「大人」と呼ばれるような年齢になると、基本をすっ飛ばす人が現れるのはなぜだろう。基本は理屈っぽくて面倒なのだろうか。
例えば、料理。「基本の料理」と書かれているようなレシピ本を1冊購入し、そこの書かれた分量通りに調理すれば、焼き加減等で失敗はあれど、味がひどくなることはない。
なのに、「読むのが面倒だから」なのか「自分はこうやってみたい」なのか、本に書かれていることを守らず、安定しない味の料理を作る人がいる。
レシピ本は料理人が試行錯誤し、調理した分量なのだから、それを信用すれば良い。もちろん、味にも好みはあるので「基本」が出来たら、調味料を調整するのはアリだと思う。ウチも薄味が好みなので、醬油を減らしたりすることはある。
軸となる「基本」があるから、大きく迷うことなく、美味しいものを料理することができることを忘れてはいけない。
話は変わるが、町内会の役員を担っていた時、その役の必要性に疑問を持ったことがある。疑問は持ちつつも私はその役がすべきことをすべて把握していた訳ではないので、否定するより1度やってみてから判断しようと思った。昔ながらのやり方で合理性がないことをなぜ続けているのか。そこにはそれなりの意味があるのだと少し理解した気がする。
私は自分が無知だと思っているが(自信満々に言うことではない)、「知る」努力はずっと続けている。「知ろうとすること」に早いも遅いもなく、その気持ちを持ち続けることで、自ずと身についていくことがあると思うのだ。
「こんなことも知らないなんて」
そう言われたら、そこから知ろうとすればいい。それだけのこと。
「こんなことも知らないなんて」
その言葉を発している人の方が何年か後には「こんなことも知らないなんて」と言われるようになるなんてザラにある。
己を信じるが、過信しすぎないこと。
やはり謙虚さが必要だなと最近、特に感じてる。年齢が上がるにつれ、傲慢にならないようにしなくてはね。
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『解きたくなる数学』が面白かった。数学得意じゃないけれど、これなら頭に入っていきそう。
金木犀の香りに酔った日。