集団で会話をするのではなく、1対1で会話をするとき、自分の口から発せられる思いもよらないことばに驚くことがある。
それは、先日、寺地はるなさんと話しているときや、サウダージブックスから本を出版された大阿久佳乃さんと話しているときに感じたことだ。
おそらく、私の日常の思考では辿り着いていない質問をされ、その場ではじめて考え、ことばにしているからなのだろう。
はじめに、その質問の答えを私は持ち合わせているだろうかと、頭の中にある辞書のような本を高速でめくってみて、これ!と思ったページの答えを口から発する。次に、発せられる「ことば」を音として耳で受け取り、私の答えに自分でびっくりするといった具合だ。
この感覚になるためには、「思いもよらない質問」が必要であり、そういった質問を受けとる機会はなかなか巡ってこない。こないだ気づいたのだが、深く考えているとき、私は頭の中を整理するようにテーブルの上に置いた指を動かしていた。あれはなんだろう。頭の中にパズルがあって、はめているような感じなのだろうか。
こういったときの私の答えは、しどろもどろが多くなるので、あんまり役に立たないが、切れ味の良い質問を投げてくれる方たちがいて、恵まれていると思った。
だんだんと、自分が生きやすいように人もモノも選んで固めがちになってしまうが、その中だけで生きていたら視野がどんどん狭まってしまい、見えるはずのものが見えなくなってしまう。
思いもよらない質問はそういった狭い中で生きる自分を省みるきっかけのひとつになり得る。
もっと多くのものに触れ、考え、たくさんのモノを見ていたい。
有り余る好奇心でいつか死ぬのかも知れないけれど、ずっと探し続ける楽しみがある方が、私にあっているし、それで死ぬのなら本望だ。
冬にわかれて − 朝焼け (Official Audio) - YouTube
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