気圧が不安定なためか、ここのところずっと頭がいたい。「いたい」が慢性的になると、それが通常のように感じてきて、いたくなかったときを思い出せなくなる。
そうやって、心が蝕まれていることに気がつかないふりをしていたあの頃の日々の苦しさはだんだん薄れてきているようでいて、今もしっかりと残っている。
何かを、誰かを思い出すだけで、指先が震えるとか、地図上には存在する道を記憶から消してないことにするとか、「見える」と「見えない」の間でなんとかムリヤリ笑っていたりする。
誰にも言えない心の内を誰かに話せたらどんなに軽くなるだろう。でも、私はきっと話さないのだと思う。
私が存在している世界のバランスが崩れることを、私は望んでいない。
私が自身の存在を肯定できることがあるならば、それは誰かにやさしくできた瞬間のような気がする。
こころを落ち着かせる方法として、家事をゆっくり行うのがいい。
慌てて切らずにひとつひとつの動作を意識して包丁を握る。指先と手のひらに力が入るから包丁を扱うことができる。もう一方の手で、きゅうりを固定することもできる。切る行為は包丁が研いであるならば、大きな力はいらない。自然な流れに任せて、トン、トン、とリズミカルに刻んでいく。
私がわたしでいることを、今、自由に料理ができることがどれほど恵まれているかを少しだけ心に留めて、また、多くのことを望んでいたい。今のままで十分だとかそんなことは思わない。
明日がもっと良くなれば良いと思うし、貪欲でいたい。
私はもっとたくさんのことを知りたい。