夕方。
洗濯物を取り込もうとベランダへ出た。物干し竿にかけられたハンガーを外そうと手を伸ばしたとき、赤みがかった空が目に映った。そこで、空も私を纏っている空気も秋の気配であることに気がついた。
気配と香りになかなか気がつけなかったのは、意識が他へ向いていたからだろう。ずっと体調が芳しくなく、なんとなく日々をやり過ごしていたのがあからさまになったなあと思った。
先週、病院へ行くとヘモグロビン血が9になっていたので少し安心した。「まだ全然、貧血ですけどね」と医師は言った。
婦人科の椅子はふかふかで心も体も重くなった私を深く沈めて受け止める。肘掛けに手をかけ、姿勢を正し、お腹の大きな女性の回りをうろちょろしている子どもを眺める。
写真に映ってたねぇ、いつ会えるの?
やや甲高く弾んだ声の無邪気さが可愛らしく、ふふっと笑う。
小さい子がみんな可愛く見えてくるのは歳のせいだろうか。もう、おそらく私が育てることのない年齢のこどもはすべて宝物のように光ってみえる。手のひらでやさしく包んでそっと地面におきたい。自由とはなにか。自由であるからこその制約とこころが育まれますように。
生落花生が売っていたので早速塩茹でにした。料理が好きなので野菜を求め農産物直売所へ行くことが多いのだが、季節を感じるために足を運んでいるのも理由のひとつだ。
旬の野菜をその季節に食することは、高級食材とはまた違う贅沢さがあると思っている。また、年齢を重ねるととともに時間の経過が早く感じるため、四季を見過ごさないように野菜で視覚化している。
塩茹でにした生落花生はホクホクしていて美味しい。はじめて食べたのは友人達と行った原宿の中華料理屋だった気がする。
塩茹での生落花生を食べるとあの日の笑い声も思い出す。