会社に出入りしているお弁当屋さんのおばさんに「お姉さんはいつも違う耳飾りをしているのね」と話しかけられた。
「毎日、気分で変えているんです」
「そういうのもいいわね」
うつむいた心が明るさを取り戻すには時間が必要かもしれないけれど、私にできるささやかなことは日常としてこなしている。
以前、寺尾紗穂さんにメールをしたと書いたけれど、今もやりとりを続けている。
「またいつでもメール下さい」
社交辞令かもしれない言葉に甘えて、気持ちが保てない時などにぽつぽつと言葉を並べて送っている。
現在、流行しているウイルスの話をすることもあれば、今後の予定を尋ねることもある。寺尾さんの歌声を聴くとき、文章を読んでいるときは「すごい、すごい」と雲の上の存在に感じているのに、寺尾さんとメールのやりとりをしていることをすごいとは思っていない私がいる。あとから冷静に考えればすごい!とはなるけれど、言葉を発しているときは私の話を聞いて下さる人であり、一個人として認識しているようだ。そういうのもきっと縁であったりするのだろう。
近くにいても遠く感じる人がいるように、遠くにいても近くにいる、または近づいてくる人もいる。
肩がぶつかる程度で出会う人達の多くはいずれ離れていくだろう。
当たり前を受け入れて、それでも尚、良き関係を保てる人が存在するならば、きっと私はその人を信頼しているのだと思う。