名古屋ちくさ座で行われた「冬にわかれて」のライブへ行った。冬にわかれてのライブは2年前、ちょうど同じ会場のちくさ座で観て以来だった。
寺尾紗穂さん、あだち麗三郎さん、伊賀航さんの三人が奏でる音楽と空気に酔いしれた。曲に応じて楽器を変え、なんて多彩なのだろう。あだちさんの横顔が素敵で、伊賀さんの佇まいが好きだった。紗穂さんの声は何か見えないものを連れてきてくれたようで、終盤、流れる涙を止めることができなかった。
マスクをする生活になってから、唯一良かったと思えるのは涙が溢れてしまったときに周囲に気づかれにくいことだ。ひたすら流れる涙を無視して前を見続ける。涙でぼやけた先に見える世界は優しかった。
終演後、物販でCDを購入し、サインを入れてもらった。
紗穂さんにサインを書いてもらっているときに、「えこです」と名乗った。紗穂さんは手を止め、こちらを見つめながら「ああ、えこさん!」と言った。紗穂さんが横にいた伊賀さんに「何度かメールのやり取りをしている方で……」と私の説明をされてるのがなんだか不思議だった。私がメールをしていた寺尾紗穂さんとステージで伸びやかな声を響かせている寺尾紗穂さんが同一人物であるとはわかっていたが、私が名乗り、紗穂さんが反応してくれたことで夢ではないのだと思った。
何か気のきいたことを伝えたかった。「今日のライブが素敵でした」とか「やっとお話できて嬉しいです」など、さまざまな言葉が頭の中で高速に動き出したが、私が発した言葉はずっと伝えたかった「いちばん、苦しいときに助けて頂いてありがとうございました」だった。それものどの奥からやっと絞り出せた言葉だった。
この言葉を発することは、一瞬でもあのときの苦しみを思い出すことだった。言葉が震え、どんどん涙が溢れてしまい、それ以上話すことができなかった。
頭を下げて外へ出た。
当時、毎日がとても苦しかった。その生活の中で紗穂さんの歌に支えられていたのだが、ちょっとした出来事があり、このままでは紗穂さんの歌を聴くたびに、ツライことを思い出してしまいそうになっていた。この歌声を聴くたびにツライと思うことが嫌だった。手放してはいけないと思った。だから、寺尾紗穂さんにメールを送った。
誠に身勝手で申し訳ありません。寺尾さんの歌を聴くのがツライと思うことがないように、言葉を届けたくてメールをしました。
そのときの近況を添えたメールは本当に迷惑でしかなく、私の精神状態が極限であったことが、後からならよくわかる。だが、その迷惑なメールに対し、紗穂さんは返信を送ってくれたのだ。しかも、当時の私が置かれた状況を客観的視点からアドバイスをして下さり、寄り添ってくれたのだった。
私は少しずつでも前に進まないといけないと思えた。この人に良い報告をしたいと思った。
今、こうして穏やかな生活を送り、紗穂さんへ直接お礼を伝えられたことで何かの区切りがついた気もしている。
ライブの翌日、紗穂さんからメールが届いた。お会いできてうれしかったですと書いてあった。挨拶のような言葉かもしれないが、私にとっては日常に彩りを与えてくれるものだった。
冬にわかれてのライブへ行った日。
とても良い気分でくつろいでいたら、何年もやり取りをしていなかった友人からメールが届いた。「なにしてたのよ」と、尋ねてみると私が最後に連絡したアドレスはほとんど使っていなかったらしく、スマホを機種変更したら現れたので連絡したとのことだった。いろいろ大変だったここ数年を数行にまとめ、最後に「まあ、私のしあわせは自分でつかむけど!」と、書いたら「なんだかんだで最後は強気。かわんねーな。良きかな!」と、返信がきた。
そうか。最後は強気なとこは変わらんのか。
そう思ったら、すべてがどうでも良くなってきてなんだか笑えてきたのだ。
この世界の何も信じられない
そう言うあなたに
一番綺麗な夕焼けをあげよう